普段の生活で、スマホやパソコンでSNSを使っていて、こんなことを思った人はいませんか?
「最近、何をしてもうまくいかない。」
「何だかいつも楽しくない。。」
仕事でうまくいかなかったことや、人間関係のことでモヤモヤするストレスもあるかもしれないけれど、
ひょっとしたら、現代型のSNS疲れが来ているのではないか、と思います。
私、水へびは、過去数年前、半年ほど軽い精神疾患を患ったことがあります。
最近、3年以上勤めた小売業から転職し、全く違う仕事に就いている者です。
(建設関係の職種に入り、心身共に向いてないのがすぐわかり、再転職。)
一時期SNS、特にツイッターに関して本格的に使ってみたこともあるので、
それらを踏まえて、なぜかSNSで疲れてくる原因を、私自身が感じていることも交えつつ、3つまとめています。
そのためここでは、
普段から頻繁にSNSを見ていて、多少フォロワー数などを意識している人向けになっています。(いいね・フォロワー増やしは、残念ながら私は不得意です。)
※個人的な見解も入ってるので、共感しがたい内容もあるかもしれません
自分の立ち位置がわかってしまう、SNS

「SNS疲れ」というワードは、Facebookやツイッターなどが盛んになり広まったころに出ていたと思います。(2015年くらい?)
ちょっと久しい言葉ですが、2020年でも少なからず当てはまる人がいるのでは、と考えられます。
(主に私です、はい)
それも、かつての「友人の投稿を見るのが億劫」みたいな理由に加え、少し厄介な情勢も相まって、更に疲れる環境になっている、と私は見ています。
言い忘れましたが、2020年11月執筆時点で、私が活用しているSNSでのフォロワー数は2ケタ、多いアカウントでは200前後です。
この中には、意識しなくても(僅かながら)フォロワーが増えていったものも、意識したけど数ヶ月経っても増えない(むしろ減った)アカもあります。
(2020年1月追記:新規の絵中心のアカウントで、新たに100人以上の方にフォロー頂きました。ありがとうございます。)
と、私のことは置いといて。
SNSは、あらわれている数字(いいね数やフォロワー数)によって、
ぱっと見での良し悪しが左右されがちです。
言うならば、数字が大きければ大きいほど信頼されやすい。
もしくは、たくさんの人に認められていると感じやすい特性がある。
①.結果が周りより劣るときの焦燥
数字の特性(?)を生かすため、多くの人はいいね稼ぎやフォロワーを増やそうとしています。
(「今週まで○○○○人目指してます!」、とかハッシュタグ付きで「# ○○好きと繋がりたい」、とか見たことありませんか?
それです。)
数字伸ばしに精を出し、それで思い通りになれば気持ちいい。
しかし、意識してもフォロワーが増えない。。。
現実はそううまくいかない。
にも関わらず、伸びる人はガチで一瞬にして伸びるのです。数日でフォロワー3桁は軽い、みたいな人、意外と多くいる。

自分とは違う何かをもって、何やら凄い人なんだなというのはわかる。
にしても、先に始めたこちらよりも一瞬で伸びることがあると、、、
少なからず悔しいですよね。
そこに達している人々を見ると、自分もできるはず、と焦ってしまいますよね。
私だけ?そうですか。。。
また、既存の有力な人や、クラスの人気者的な人の投稿やつぶやきで、キラキラな日常や何らかの実績の写真やスクショが見えた時も、人によっては「すごい!!」よりも
「うっそ、、それに比べ何やってんだ自分、、、」
て焦る人もいるかもしれませんね。
とはいえ、これは今に始まったことでは無いですね。
②.頑張っていてもさらに成果を出す人がいると萎える =比べちゃう
時折、SNSで報告したくなるほどに嬉しいこと、良い結果を出せた時、ありますよね。
「自分が○○できた!凄い!」
「めちゃめちゃイイ写真が撮れた!!」
「ゲームで○○にやっと勝った!」
などなど。
しかし、稀に
(というか、常に)
いざ報告のアップロードでもしようとSNSを開いた瞬間、
さらに凄い成果を上げてる人が目に入ることがありませんか。
「(出来てる人もっとおるやんけ、、、)」
「(もっとヤバい写真撮ってる人いる、、、)」
「(なにこの動き、倒し方。敵わん、、、)」
大抵こちらより「いいね」などが多かったりしますね。。
もちろん、凄い方々は、そこに達するまで、自分たちが想像できないほどの経験や場数を踏んできた、紛れのない尖鋭です。当然です。
しかしながら、現代のSNSは拡散力・影響力が本当に凄まじくて、見たいと思っていなくても、数多い「なんか凄いの」が目に入ってくるようになりました。
そういった「凄いの」が日常的に目に入ってしまうと、
他の人はしれっと凄いことをやってのけるんだ(と錯覚する)ので、「自分なんて…」って卑下してしまう。
自身の喪失につながるかもしれません。
私だけ?そうですか。。。
要は、他人と自分を比べる状況に遭遇しやすくなってるのではないでしょうか。
上記のような場面でモチベーションを上げられる人でもそうでない人にも、
我が道を行くんだっていう人にも、
SNSをひとたび開けば、比較せざるを得ないシーンが起きる。
ここがSNSの怖いところだと思います。
しかしこれも、今に始まったことでは無いです。
とどまることのないツール(神器)、SNS
今日、ツイッターやinstagramなど、SNSの発展はとどまらないです。
気軽な使い方はもちろん、絵や写真など作品のアピールとして使われたり、様々な人とつながるためのツールとして特化していると思います。
ところで、なぜ私のような人間が、SNSを不得意と感じながら、これほどまで気にしているのかというと、
少なくとも私は、ツールとして使うのは大いにありだと思っているからです。
あとは。。。
承認欲k
…ゲフン
…それもありますが、
近年では、SNS活用が個人としても事業としても当たり前になっています。
③.高度SNS発達期の到来
(高度~のところは、私が勝手に名付けました。すみません。)
今日のSNSは、やれ営業用だとか、やれマーケティングに最適だとか、ビジネスへの実用性に注目されています。そして、いかに上手く使えるか!が大事にされている(らしい。)

SNSは、ツールとはいえ、どうしてもいいねやフォロワーの数字がモノをいう風潮が固まっています。
単純に、同じような投稿・つぶやきでも、たいていの場合いいね・フォロワー数の多い方が、多くの人に見られたという事実もあって、信用しやすい。
逆に、例え本人だとしても、数字が少かったら恐らく「パクリだろ(笑)」とはやし立てるでしょう。ああこわい。
そしてやはり、誰しもいいねやフォローしてくれる方が多いと、「ああ、自分を見てくれてる!」という承認欲求が満たされるようです。知らんけど。
しかし、逆も然りで、そういった反応やインプレッションの手応えが無かった場合、人によっては悲しくなるようです。私は悲しくなります。。

誰かは言う。そして慰めてくれる。
「いいねやRTでその人の価値は決まらないよ!」
しかし、
上記の、ビジネス的にも活用出来て、誰かに必要とされる使命感(承認)を得られる側面があるということは、
つまり、
「上手く使えなかったら」
「必要とされにくい」
という、逆の恐ろしい状況も出来上がってしまうのではないか。
何度も繰り返しますが、
現代社会では、SNSは大きな力を持っています。
日常コミュニケーションはもちろん、インフルエンサーや著名人による影響(あまり覚えてないけど、少し前から、お金配りとか話題になったね)もあり、話題は尽きません。
今や、大手企業もSNSを活用して、商品の宣伝にうまく持ってきています。
その気になれば、気軽に芸能人などのSNSアカウントにコメントだって出来る世の中です。
(それが行き過ぎて数ヶ月前、悲しいニュースにもなったけど。。)
ちょっと逸れてしまいましたが…
多くの人と繋がることが出来れば(もちろん中には攻撃的な存在もいる)、それだけ自らの拡散力は上がり、成果はそれまで以上のものになりやすいでしょう。
ここまで挙げてきて言いたいこと。
つまりは。
今やSNSは、世の中を動かし、
そして、生活のほとんどをSNSに生かす事が、「割と当たり前」の情勢となった。
かの、Twitter界隈で知る人ぞ知る「赤髪社長」は、とある著書で「Twitterを伸ばしたかったら、1日でTwitter使う時間を決める。○○なことはいつ何時つぶやこう。○○を活用して本気で取り組む。」等など多くのアドバイスをされていました。
いうならば、SNSを上手く使うにはテクも必要になってきた、ということ。
とはいえ、そういったテクを使っても使わなくても、無意識にいいねフォロワーを伸ばせる人はいるし、最近はツイッターでフリート機能が搭載される等、SNS側も仕様が変わりつつあるので、一概に正解がない。
それでもし、自分の作品や主張を伝えたくてSNSを活用することがあったとして、正解がない・テクを真似しても上手くいかない時がある故に、SNSが上手く活用できない、あるいはアピールしても思うように反応が無い・伸びないことが起きたら。
その傍ら、同じ界隈で一瞬で成果を上げているかのような人が、
目の前の画面越しにたくさん現れたら。
こうなってきた場合に、現代型のちょっと複雑なSNS疲れ、いわゆる
「何やっても上手くいかない」
「楽しくない」
という状況になってしまうのでは、と考えられるのです。
最後に
少し極端でしたが、SNSでのアピールは、拡散が成功すれば強いです。
同時に、SNSの発達により、ライバルは凄まじく多い。
ので、あくまでSNSを本気で運用したい、という意思がある場合、必然と、ライバルとの差をつける為、いかに奇抜なアイディアを出せるか、
勝負師的に振る舞う必要があるでしょう。
(SNSの至る所で、目立とうとして過激発言してる人いませんか?
それです。)
ただ、画面開くたびに突然右ストレート、場合によってはボディーブローを喰らう(?)ようなSNS情勢、頻度を意識し始めると、休日も休日でなくなってしまいます。
(界隈によっては、TLの盛り上がりが凄いです。試しに、土日の朝6〜8時の間で、Twitterの検索機能で『おはようございます』って打ってみてください。長文ツイートが沢山湧き出てきます)
SNS疲れ、というのは何年か前から言われていたと思いますが、
恐らくその当時よりも、趣味に特価したもの、ビジネス用など複数のアカウントを分ける人も多く出てきてるので、平日や休日関係なく、個人に対する情報量が間違いなく多くなっています。
どこかで、「現代の人間は、一昔前よりも膨大な量の情報に晒され、心も身体も休める暇がない。結果、ストレスを抱えている。」というものを読みました。
正しく、今日の現代型SNS疲れに繋がるのでは、と思います。
SNSが重要となってしまったこの時代だからこそ、
使い方がうまくないと、率直にダメなのかな、、、
なんて思ってしまうかもしれません。
ただ、
SNSの数字だけが人との繋がりの基準だ、
という考えは、大変危険です。
ツールに頼らなくとも、あなたは既に知り合っている友人や、家族や身内とは繋がってきてるはずです。
私の知り合いの方で、SNSをほぼやっていない方がいらっしゃったのですが、
その方は入籍され、のびのびと生きている印象でした。自分の興味関心のあることへ向かっていき、誰かと比べることもあまりしない方でした。

そしてモットーが、
「いつも楽しくなることを考える」
ということだった気がします。
その方は、たくさんの後輩や縁と繋がりがあって、同時に人を大事にする方でした。
SNSは使わなきゃいけない、という風潮にもなってきた。
でも、SNSでなくとも、何だかんだ人との繋がりはあるんだ。と考えさせられます。
ここまで読んでいただいたあなたにも、
どうか、SNSだけじゃない繋がりを大事にしてくださいな。。。
追記

ほぼ自分が感じてるSNS疲れを書き並べました。。
すみません。
というか、本文にあった、「数字が全てじゃないよ!」って言うような人に限って、数百いいねされてたりして、承認欲求がっつり満たされてるのがザラにあるから、怖い。
私自身、一時期、3ヶ月くらい、Twitterに本気に取り組んだことがあって、
コレ大事だ!と思う事を複数呟くことがあったけど、反応が薄かったり見向きもされないことが多かった。
自分だけ見られないのか。って思うこともしばしばありました。
こういったネガティブ思考になりやすい私のような人は、おそらくツイッターなどに向いていないとつくづく感じます。
ので、ガツガツせず、数字やゴシップ的なのに流されず、むしろほとんど見ず、マイペースに生きるのも良いと思います。
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