適応障害でうつっぽくなる原因とは

こころ
物忘れから、適応障害でうつになった話
20歳過ぎの頃に、「うつ」と診断された話。どういう障害と言われたのか。どのようにして成ったのか、物語形式でまとめています。

過去の記事の続きです⇧⇧

 

成人して間もない頃、”うつ”っぽい症状が出て、「適応障害」と診断されたことがありました。

診断されたあとも薬を処方されながら、数か月は通院していました。

その後、強引ながらも薬を飲むのをやめましたが、何年か経った今はごく普通に過ごしています。

 

ここでは、なぜそのようなことになったのか、考え得る原因を3つと、立ち直ることになったであろうきっかけを紹介します。

※私は精神科医ではないので、これ。といった断定はできません。また、原因や症状の度合い、対処法が、人それぞれ異なると思います。あくまで参考程度に、としていただければ幸いです。

やっぱりストレスが多かった

最初の記事の後半でも書きましたが、

診断される直前まで、慣れないことだらけの環境に置かれていて、いつも不安に苛まれていました。

 

当時は一人暮らしデビューしたてで、慣れない住まいや勝手がわからなかったり、

学生の頃の委員会活動やサークルで変に自分を鼓舞させたり、

講義の難易度が上がり(当然)、なんとか成績は良くしなきゃというプレッシャーもあり(その割に取っていた授業は最低限という)

 

あとは後述のアルバイトでも不安要素が大きくて、自分が思った以上にしんどくなっていたようです。

 

興味のないものが壁となる

また当時は、特にやりたいわけでもないのに、

教員免許取得のための授業も入れていました。

 

資格があればいいや、くらいの浅い動機で受けていたのですが、

これは授業をただ受ければよいものではなく、

多くの授業と特殊な実習に加え、教育実習で一定期間学校に勤務して実際に生徒に授業をする

という多くの段階と壁(?)が立ちはだかります。

 

 

当然ながら、軽い気持ちじゃとうてい登り切れないものです。

(実際、本当に教員を目指して受けていた同級生でも、実習中は明らかに辛そうだった)

 

これらの教職を受けていた時は、最初は新鮮で楽しかったものの、次第に憂鬱になっていった記憶があります。

素晴らしい資格です。しかし自分はやっぱり興味がなかったし、別のことをしたいと決めていました。

ので、教育実習に行く資格を満たした瞬間に辞退しました。

(先輩で、教員志望ではなくとも免許取得までいった猛者もいます。

すげえ。。)

 

(おそらく)主要なストレス:苦痛

学生だった当時、奨学金を借りず親から仕送りをもらって過ごしていました(家賃は親任せ)。

とはいえ、仕送りではお金は足りないと感じていたので、お金を少しでも稼ぎたいという思いで、コンビニエンスストアでのアルバイトを始めていました。

ところが、これが自分にとっての主要なストレスだったかもしれません。

 

 

そこのバイト先では、自分と同じ大学の学生が複数人働いていました。その人たちは自分より1年以上前からいたので、当然のように業務をこなします。

しかし、この接客業務が好みだったわけでもなく(むしろ逆)、苦痛に感じることがありました。

 

しかも私は、仕事を覚えるのがめっぽう遅く、半年経ってもしょっちゅう失敗していました。そしてたびたびその同年代の人や先輩、店長に怒られていました。

 

仕事が慣れなくてつらく、同年代に叱られる羞恥心や劣等感が大きく(ついでに当時最低賃金および時給が700円を下回っていたのもあり)、やはりただの苦痛でした。

加えて、勤めていた店舗は、売り上げの数字がその地域ではかなりの上位だったらしく、自分が勤務する夕方~夜の時間帯は、常に激務の状態でした。

 

仕事がまともにこなせないのと、息つくヒマもないのと(休憩中にレジに呼ばれるのも当たり前)、ついでに冷たい態度のお客さんも少なくないというのも相まって、

他の人たちに比べ、私にとってはすごくものすごーーくストレスだった

 

勤務時間自体は主に5時間のみの週4だったけど、ちゃんとした就労経験のない自分はただハチャメチャな時間で。

そして、帰ってくる深夜頃にはやたらと疲れていたり。

 

こんな調子だったので、夏休み中予定のない日でバイトのある日、動くのが嫌すぎて出勤時間直前までずっと寝ていた時期がありました。なんてもったいない!!!!!!!

 

 

 

流石に勤続1年ほどたったころには慣れ、何かしらのインセンティブがあった時、店長を後押しせねば。と奮起するまでにはなっていました。(結果が良くて私だけ多めに褒美をもらったっけ。。)

 

とはいえ、

苦痛に感じることを、自分で自分に課していたのは、本当にストレスだった言えます。

 

(実は重要?)栄養が糖質寄りだったかも

当時、それまでの学生寮の環境から、より自分で食生活をどうにかしなきゃいけない状況に移っていました。

 

正直、栄養がどうのこうの調べても、基本めんどくさがりな私は、特に意識せずに食べていたと思われます。あまり大きな声で言えませんが、仕事終わりに度々ハイ〇を貰って食べていました。経営上よろしくないけどね。

 

ですが、この食生活の乱れも、”うつ”っぽくなった原因の一つだと思います。

 

糖質に関する記事で、糖質の摂りすぎは心の乱れを招く、という内容に触れています。

 

結局、ハ〇キを食べて一時的に気分は和らいでいたけど、摂った糖質で血糖値が乱高下してイライラ、

またビタミンB群などが足りなくて糖質をちゃんと代謝できていなかった、

と、栄養面でも原因があったかもしれません。

 

(一番の原因?)「本当に」やりたいことの欠如

ストレスや不安に勝てず、栄養面をおろそかにしていたことに加え、自分が何をしたいのか見えない状態でもありました。

 

 

 

当時の心情を振り返りますが、

 

入学してすぐ、踊り系の委員会やサークル(わたくし踊ることが割と好きなのです)、大学祭の運営側に携わってみよう、など好奇心を張り巡らせて挑戦していました。それはそれは楽しかった。

 

 

でも、

 

それらが、「本当に」自分がやりたかったことだったのか、と言われれば、多分答えられないと思う。

 

確かに、活躍していた先輩方に憧れ、同じようになりたいと思って入った。

そして、実際やってみたら凄く楽しかった。

それに、今でも振り返ると、厳しい練習や準備期間の大変さはあったものの、やり遂げた時の感動や様々な感情は、凄く大切な思い出として残っています。

 

 

 

しかし、楽しいけど

自分が本気でやりたいことだったのか。

 

 

今だから理由が何となくわかるのですが、

先輩方の憧れを捨てきれなかったのと、自分自身の不器用さを蔑ろにして、「同じようにならなきゃ」というプレッシャーを抱え込んでいた。

そして、練習に励む周りの皆と同じくしなきゃいけない。

と、苦しくなりながら練習に足を運んでいたと思います。

(結局、まっすぐに取り組む仲間や後輩たちがめちゃめちゃ上手くなり、彼ら彼女らは周りから慕われ引っ張る存在に。当然モヤモヤな自分は中途半端な結果に。。)

 

(何度も言うけど、踊るのは楽しかったしみんなといるのも最高だったよ。自分がほんとうに半端だった。)

 

 

 

 

 

と、

回想はここまでにして、

 

この時の心情は、

辛いけど楽しい。

ではなく

楽しいけど辛い。。。

になっていたかもね、ということです。

 

上は似てますが、回想での葛藤そのままです。

 

「本当に」したいこと、ではなく、

周りがどうだから・こうだからしなきゃいけない、という理由で動いていると、

やっぱりどこかで楽しくなくなります。

 

自分の「本当」に向き合わないと、自分を見失って不安になるのです。

 

 

 

 

 

余談ですが、(再び回想なのでスクロールOK)

私は素人ながら、絵を描いたり何かを組み立てたりするのが好きです。

 

大学祭の運営陣として、2年次から毎年装飾作りもしていました。

 

装飾の作業は、紙に下書きとおおよその色と寸法を描いて、色画用紙や色付き折り紙を切って貼りつけて~、と地道でハードなものです。

車が好きなので、こんなのも作ってみたり

運営の事務室でポツンと一人で作業することも多かった。

1つの作品(?)を仕上げるのに数時間、最大1週間かかったことがあります。

直径3~4mのこれは1週間かかった

 

 

にもかかわらず、快感を感じていました。笑

1つ完成する度に来る達成感といったらもう。

 

このようにあらかじめ目を描いて、

画用紙などを切り貼りして挿入。
。。。ヤらしい顔なのは気にせずに

 

春~秋にかけて、夏休みの時間も使い、学祭本番に向けて作りまくります。本番準備日で、画用紙で作った数多くの完成品を学内の壁に貼りつけます。

貼るのも貼るので大変だったけど、自分やほかのみんなと作り上げたもので大学の通路や体育館を華やかにするのは、何とも爽快で感動的でした。

 

この他にも数多くの装飾を、皆で作った。

 

うん、

正に「辛いけど楽しい」状態だったかもしれない。

 

 

本音で「これがいい」と思えることに逢う

通院し、暫く薬を飲みながら過ごすも、

それでもやりたい事を見つけていたわけでもなかったので、

相変わらず、毎日夜中までスマホをいじってばかりいました。

 

ふと、いつ頃からか

「これ、好きだな」と本能的に思うものが出てきたのです。

 

 

そしておそらく、通院と薬をやめるきっかけになったと思われます。

 

 

  • 幼い頃から好きだった趣味に、再び興味が湧いた

 

 

ちなみに私、幼少時から車が好きでした。

いつのまにか興味は薄れ、学生になってもほぼ意識することはありませんでしたが、

 

ふと車のことが気になって、画像や動画を見るようになりました。

そしてだんだんと、車のことについて調べるようになりました。

一応スマホアプリのゲームでちょっとかじってましたが、知識が皆無でした。

ので、ググったり本を買ったりして、調べまくった記憶があります。

 

それは、「先輩がそれを好きだから」とか「カッコいい先輩として映るから」

とかではなく、

 

率直に好きだ。

 

それに夢中になりたい、深めたい。

 

と、感じたものでした。

 

 

なんともあまりにシンプルすぎるきっかけで恥ずかしいのですが、

というか、逆にほとんどずっと、自分にウソをついていたかもしれません。

 

(前の項で、装飾活動に励んでいたエピソードがありましたが、これに関しては素直に夢中になっていたと思います。)

 

上記の趣味の再燃で、それまでになかったワクワクが溢れていました。

なんだか、心が久々に喜んでいる、みたいな。

 

 

ちなみに、車への興味がデカ過ぎて、コンビニバイトが終わった後、アーケードのレースゲームをしにゲームセンターへ通うまでになっていました。

次第に、仕事終わりのプレイが楽しみでバイトが苦痛じゃなくなっていました。

通院し始めの頃とは大違い。。。

 

 

素直に自分がいいと思うものを

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

 

このように、

形がどうであれ、「やっていて周りが気にならなくなるくらいに楽しい」ことをするのが、

適応障害および不安障害の”うつ”っぽい状態から立ち直ったきっかけだと思います。

 

卒業後に就いてる今の仕事も、あの時並みに激務なところもあれば、比較的ヒマな時もあるとはいえ、

学生の頃以上に不規則な生活習慣だし、

しかも転勤が多くて人間関係が満足に築けない。

こちらへの責任も重いなど、当然ながら全く楽ではありません。

 

それに元から接客は苦手だから、今でもやっぱりストレスは抱えまくるし、病んでしまうことも少なくない(もはやそういう体質。)

 

 

 

 

だからこそ、自分の「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」を、大事にしています。

 

 

誰かによく思われる。

世間的にいいとされるもの。

 

そうじゃなくて。

 

自分が。

心が喜ぶもの。

前向きになれるもの。

 

人によって、いいものは千差万別です。

だから、素直に自分がいいと思うものを

大事にすべき。

 

でないと、わたくしの時みたいに、よくわからない不安に追われるかもしれません。

 

 

※これはあくまで、私が適応障害と診断され、過ごしたときの話です。

もしかしたら症状が軽いケースに映るかもしれません。

それでも、参考になればと思い、執筆に至っています。

 

コメント

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